1989年3月3日  朝日新聞(夕刊)

愛のミシン、深まる交流 〜全国に広がったベトナム支援運動〜
市民レベル、実り多く
ニュースグラフ

 「わぁ、うれしい」 ミシンを前に、少女が目を輝かせました。自活の道が開けた少女たちは、満身で喜びをあらわしました。ホーチミン市女性職業訓練学校で訓練中の約600人の女性たちです。
 「ベトナム友好市民の会」(代表・高橋ますみさん)が日本各地から集めた250台のミシンのうち100台がこの学校に届いたのです。「学生が一気に2千人に増えそうです」と校長先生も大喜び。同市フーニョン区、ブンタオ市にもミシンが配られ、ミシン訓練所までできました。少女たちの喜びの顔を見て、「援助とは『お金』ではなく、人に仕事を与え、自活の道を開いてやることだ」と、実感しました。
 ことの起こりは、20年間の私の日本での生活体験からです。市民の手による国際交流。ベトナム戦争後の祖国を何とか立ち直らせたい。そんな気持ちを、テレビの座談会で話したのです。同席した高橋さんが共鳴して「ベトナム友好市民の会」をつくり、会員がベトナムを訪れて、現状をその目で見ました。それが未亡人や戦災孤児の生活手段に結びつく「ミシンをベトナムへ」という呼びかけになりました。呼びかけは、またたく間に全国に広がりました。
 ミシンを運ぶためホーチミン市から100キロも離れたメコン川で船を待っている時「あっ、この人たちを知っている。ミシンで来た人たちだね。ありがとう」と、あちこちでいわれ、この活動の意義をあらためて確信しました。
 「本当の交流」が実現したのです。日本のみなさんの善意に感謝するとともに、市民レベルの国際交流に大きな希望を抱かずにはいられません。
 国を単位とした交流から、これからは市と市、人と人との出会いが、新たな、大きな実を結ぶ時代が誕生すると思います。それが“市民連合”ともいうべき、新しい国際交流のあり方ではないでしょうか。

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